私と中国〈895〉

子どものころから中国ファン

羽仁協子さん
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 父は歴史学者の羽仁五郎氏。母は「自由学園」創立者羽仁説子さん。兄は映画監督羽仁進氏。若い頃ライプツィヒ音楽院指揮科を卒業。日本コダーイ協会会長として長年音楽を通じた子どもたちの情操教育に心血を注いできた。
 1929年生まれの高齢にもかかわらず、昨春自ら志願し当協会に入会。その後、本部新聞、支部ニュースへの寄稿・中国悠久の旅カレンダーや尖閣アピール署名の普及・公式テキスト『中国百科』の購読など、その旺盛な発信力・知識欲には目を見張るものがある。
 「入会のきっかけは『仏独の50年不信を乗り越えた歩み』というある新聞の社説を読んだことかな。『日中不再戦』も同じくらい大事なのに最近危うい、これは何とかしなきゃと。幼い頃の中国への親近感が蘇(よみがえ)ったというわけよ」と語る。
 羽仁さんは小学1年生で日中戦争(1937年=盧溝橋事件)、6年生で太平洋戦争(1941年=真珠湾攻撃)という時代に育ったが、当時は鬼畜米英・中国人蔑視の風潮が日本を覆っていた。
 「ところが、わが家は結構リベラルで、私が習っていたピアノの先生は『僕には日本より中国の方が似合った環境に思える』なんていわれるのよ。だから子どものころから中国ファンだったといえるわね」
 今の中国・日中関係については、「中国は、いかに大国になっても民衆の暮らしの向上と民主主義の実現は欠かせないはず」と率直に述べ、「日中友好協会も節度は保ちつつ、不義・不正に異議申し立てする民衆と支援する知識人や人権活動家への暖かい目配りは忘れないでほしい。何より日中の青年同士の対話や交流に将来の希望を託したいものね」と力を込めた。
(田中)



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