
1935年(昭和10年)、漫画家の故・赤塚不二夫氏と同じ、中華民国・古北口で生まれた。父は、国境警察隊の隊員であった。1946年(昭和21年)父母とともに葫芦島から父の郷里石川県金沢市へ帰国した。
1945年(昭和20年)8月、ソ連軍が「満州」に侵攻。当時10歳だった清衛さんは、国境の町、黒河からの「塗炭の苦しみの逃避行」をいまも生々しく記憶している。
至るところに日本人の死体が散乱し、残留孤児となった子どもたちもたくさんいた。自らも4人の弟妹のうち3人を新京(現・長春市)で亡くした。
「満州」引き揚げ者に対する当時の金沢市の対応は冷たかった。父はなかなか仕事に就けず、1951年(昭和26年)、病に倒れ子どもたちのもとへと旅立った。
宮岸さんは、金沢市内の小学校へ再度4年生に編入。11歳が4人もいた。1955年(昭和30年)、高校卒業時に金沢市内の役所や国鉄への入社願書が受理されず戻ってきた。片親・引き揚げ者・落第した人は採用しないとのことであった。ただ電電公社にだけは採用されたが、昇進には支障となった。
宮岸さんは「この体験を一生忘れまい」と、毎年東京で、同じ体験者「満友」と語り合ってきた。昨年12月19日には「北陸満友会」を設立。大きな反響があった。これからが大変だろう。
いまの日中関係を憂慮し、再建された日中友好協会石川県支部の理事を引き受けている。
また、自らも喘息の持病をもち、石川県喘息友の会会長として幅広い活動を展開している。
「旧満州での体験記」をホームページhttp://k-amur.boy.jpに詳しく掲載している。
(宣)