私と中国〈881〉

胸のすく思いで受け止めた“アピール”

中澤 喜子さん
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 愛読している日中友好新聞で「尖閣問題の平和的解決を求める10氏アピール」を見た途端「体が先に動いた」と言う。「尖閣」で対立がエスカレートする日中関係に重く沈む気持ちのなかで「一筋の光」を見た思いだった。
  早速、アピールを拡大コピーし、1カ月で60人を超す人びとの賛同を集めた。「平和的に話し合いで即時解決を」「侵略の歴史の事実を認め国際法に沿って解決を」「ASEAN方式を北東アジアでも」、願いを込めた〝ひとこと〟がビッシリ書かれている。
  「胸のつかえが下りた気持ちです」と笑顔をみせた。
  中澤さんは、中国で5年過ごした体験がある。夫の故博昭氏は17歳で学徒動員で日中戦争に駆り出されたが、終戦後、通信技術を買われて八路軍(中国人民解放軍)で残留、北京放送局に勤務した。
  喜子さんは、1961年北京で博昭さんと結婚し、2人の子どもと過ごす幸せの中、突如吹き荒れた「文化大革命」(1966~76年)。北京放送局にもその嵐は襲ってきた。中澤夫妻は北京放送局で働く日本人の中で唯一この暴挙に屈せず、帰国した。
  あれから47年、いまでも当時の多くの知人友人との交友が続いている。
  「日中両国の文化や人びとの往来は2000年以上にわたり、長く、広く、深く続いてきました。あの忌まわしい戦争の最中でも、互いに助け合った数々のドラマがあります。その友情を壊してはいけません」と結んだ後、「あなたの一声がとても大切です。さあ友好、平和のため、みんなで、もう一歩踏み出しませんか」と、力強く呼びかけてくれた。

(宣)


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