一日本兵が撮った日中戦争 ─ 村瀬守保写真展


村瀬守保
一人一人の兵士を見ると、
みんな普通の人間であり、
家庭では良きパパであり、
良き夫であるのです。
戦場の狂気が人間を野獣に
かえてしまうのです。
このような戦争を再び
許してはなりません。
― 村瀬守保

村瀬守保さん(1909年~1988年)は1937年(昭和12年)7月に召集され、中国大陸を2年半にわたって転戦。カメラ2台を持ち、中隊全員の写真を撮ることで非公式の写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しました。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルビンと、中国各地を第一線部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真は、日本兵の人間的な日常を克明に記録しており、戦争の実相をリアルに伝える他に例を見ない貴重な写真となっています。一方では、南京虐殺、「慰安所」など、けっして否定することのできない侵略の事実が映し出されています。

本写真展の展示パネル(全50枚・A2/B3判ラミネート等)は、日本中国友好協会本部から貸し出すことができます。ぜひ、お近くの集会や展示会でご活用ください。

写真から見る日中戦争の実相
正月に頭を刈り合う兵士たち
正月に頭を刈り合う兵士たち
「慰安所」前に並ぶ兵士
「慰安所」前に並ぶ兵士
末端の兵士や市民の息づかいが聞こえてくるような写真の数々
末端の兵士や市民の息づかいが聞こえてくるような写真の数々
1937年12月、南京市内に折り重なる遺体を見下ろす日本兵
1937年12月、南京市内に折り重なる遺体を見下ろす日本兵
村瀬守保 略歴
村瀬守保
1909年(明治42年)12月文京区真砂町に生まれる
1927年(昭和2年)7月私立豊山中学校を諭旨退学。以後、人夫・新聞配達員・商店員・テキヤ・船乗り・トラック運転手・タクシー運転手などを経験
1931年(昭和6年)9月柳条湖事件(満州事変)
1932年(昭和7年)1月第1次上海事変
1937年(昭和12年)7月盧溝橋事件。輜重兵補充兵二等兵として召集
同年 8月第2次上海事変
同年 12月南京事件
1939年(昭和14年)8月ノモンハン事件
1940年(昭和15年)1月召集解除
同年 3月会社員として就職。㈱三田鉄工所 工場長・社長
1945年(昭和20年)8月敗戦。戦後、㈱三田発動機・㈱共パン・アルプスミシン㈱・アルプス産業㈱ 社長を歴任
(戦後)埼玉設備工業㈱ 社長、全国商工団体連合会 常任理事、埼玉県商工団体連合会 副会長など歴任
1988年(昭和63年)7月死去(78歳)

展示パネルを貸し出しています

この写真展の展示パネル(全50枚)は、当協会が主催しないイベントでも
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