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沙飛写真展全国巡回

写真   沙飛(1939年)

 中国写真界の草分け的存在であり、数多くの写真家を育てた従軍写真家・沙飛の名を知る人はけっして多くはないだろう。
 文豪・魯迅の影響を強く受け、その臨終に立ち会い撮影した魯迅のデスマスクの写真が、その後の沙飛の運命を決めた。抗日戦争下の前線で、後方で、沙飛はシャッターを押し続けた。
 そのヒューマニズムあふれる視点は、将来の日本との友好をも見据えた国際主義、人道主義に貫かれている。

 万里の長城での戦闘、中国軍の捕虜となり反戦活動に身を投じる日本兵たち、救出された日本人少女と八路軍の司令官、中国人の戦傷者や病人を治療するカナダ人医師、中国共産党代表と国民党代表が米国特使とともに談笑する写真など、沙飛が残したフィルムには、日中戦争と中国革命の歴史的 な場面が刻まれている。
 
 2008年4月の日本初公開以来、全国各地で写真展の巡回が行われ、日中友好の歴史に新たな視点を開く作品群に感動の声が多数寄せられています。

 

写真   送り返される日本軍捕虜と八路軍兵士が歌で交歓する(1939年5月)


写真聶栄榛(じょうえいしん)将軍(左)が日本軍に送り返す栫美穂子(かこいみほこ)さんの頭をなでる(1940年8月)
 1940年8月、華北地域の八路軍は鉄道、道路、炭鉱などを目標に、日本軍に対する総攻撃を行なった。日本軍を破って炭鉱を占領したところ、親を失った幼い日本人の少女(栫美穂子さん・宮崎県都城市在住)2人が置き去りにされているのを発見した。聶栄榛将軍は、この少女を村人に頼んで、手紙をつけて、日本軍に送り届けた。
 この人道的エピソードがきっかけとなり、現在都城市と中国との友好交流が大きく発展している。

写真   若い芸術家たちと魯迅(1936年10月8日 上海) 
 1936年10月8日、沙飛は、上海の版画展で若い芸術家と語り合う魯迅を撮影する機会を得、その人柄をよく表出した。それは魯迅の亡くなる10日前だった。