日中友好協会(日本中国友好協会)

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HOME > 私と日本 > 2010年11月05日号

私と日本〈72〉

厳 粛さん写真

フリージャーナリスト
厳 粛さん

 

中国人女性記者は日中友好の懸け橋

 7月25日、千葉支部主催の中国講演会で講演された厳粛さんは、来日18年の自分の歩みを飾らぬ語り口で紹介され、参加者の感動を誘った。
 初めて会う前、名前のイメージで少し緊張したが、実際に会った所見は謙虚・柔和・直向き・優しさ・ちょっぴり遠慮勝ち。
 その誠実な人柄は、「貴協会がどんな活動をされているのか、お話をする前に知っておきたい」と、6月12日の第59回全国大会に参加・交流されたことの感想に良く表れている。「全国からこんなにたくさんの方が一堂に会し、中国との友好のあり方を熱心に討論している姿に、一中国人として大変ありがたく、感動しました」
 厳粛さんは北京で生まれ育ち、北京同仁病院・北京市眼科研究所で眼科医学技師として勤務、1989年WHOの公費派遣で初来日、再来日は1992年。
 「恩師は亡くなられる際、自分の両目を2人の患者に移植された。そんな人類愛の精神を少しでも受け継ぎたくて」と恩師への敬愛に溢れていた。
 その直後に自分の臓器提供カードにサインし、死後患者に献体すると決意した。20年前の中国では非常に珍しかった由。
 再来日後打ち込んだ日本語の学習、眼科医学の研究、バイトの辛さ。苦労な日々を経て、縁あって「中国消費者報」東京特派員の職を得た。
 これから走りだそうとした時に体調に異変が。検査の結果は何と子宮癌!9年半も漢方と西洋医学による保守治療に専念し奇跡的に癌を克服。
 今回の講演会には日本人のご主人と2歳3ヵ月の長男の元気な姿もあった。
 「闘病のお陰で寿命に対する認識と生命の価値観が変わりました。これからはフリージャーナリスト・翻訳・通訳者として、何より日中の草の根交流の大切さを書きたい。一方では社会復帰する患者様のリハビリを手助けする『辺縁学科』の仕事に携わりたい」と厳粛さんの目線は常に前向きで直向き。
 日本の良いところはメディアを通じて中国に伝えるとともに、日本で疑問に思ったことは率直に指摘したいという。今後の健筆に期待したい。(田中清咊)

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