日中友好協会(日本中国友好協会)

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HOME > 私と中国 > 2015年9月15日号

私と中国〈918〉

八路軍に参加


村田 和子さん

 


「平和が一番」と訴える

 村田さんは父の転勤に伴い、1939年、13歳で「満州」の牡丹江に転居。日本の敗戦後、1945年9月に18歳で八路軍に入り、遼寧省の兵站司令部の事務員として働いた後、政治幹事として日本と中国を取り持つ働きを32歳まで続け、1958年、日本赤十字社最後の船で帰国しました。
 夫は、日本では死んだ人になっていました。終戦後、手紙が出せるようになり母親に帰ってきてほしいと請われ、帰国を選択したとのことです。
 帰国後は「親戚」や周りの人びとから「赤攻撃」を受けましたが、女学校時代から習っていた茶道、華道を伝授する過程で人びととのつながりもでき、さいたま市茶道会の理事として尽力しています。
 88歳になった今年も、国会前の「原発反対」金曜行動に参加していましたが、足を患ってからは婿が「母の代わり」として毎週参加しています。
 「地域九条の会」に入り、武蔵浦和駅頭での宣伝行動に参加し、戦争体験から「二度と戦争はいけない。兵站は戦争の行為、兵站なくして戦争はできない、戦争法案に反対しましょう」と訴えています。
 2010年8月、北京で行われた中国人民解放軍建軍83周年記念レセプションの席上、国防大臣梁光烈大将がスピーチの中で「中国も日本も引っ越すことはできない。仲良くしましょう」と発言、列席した20数人の旧日本兵の1人1人と熱い握手を交わしました。  今年も、盧溝橋戦役78年記念式典(9月1日)に招待され、「日中友好の一助ともなればと思い行ってきます」と元気いっぱいです。

(中里)


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