日中友好協会(日本中国友好協会)

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私と中国〈827〉

児島 博基さん写真 日中友好協会

元世界労連勤務員
児島 博基さん

 

50年代、中国で平和連帯の活動

 連日の猛暑が続く東京。約束の時間に現れた児島さん、とても91歳とは思えない。
 1929年、9歳で世界大恐慌を体験。絹糸業で栄えた郷里鹿児島の宮之城町(現さつま町)は壊滅的打撃を受けた。19歳で旧「満鉄」の鉄道マンとなり、25歳で召集されるまで勤めた。
 終戦を迎え、多くの戦友はシベリアへ送られたが幸運にも免れた。その後中国で、日本人勤労者労働組合・同消費労働組合に勤務。それを機に数奇な運命をたどることとなる。
 1947年に帰国、調達庁(旧防衛庁)に勤めたが、首を覚悟で再び中国に渡った。1951年、中国が世界の労働者へ呼びかけた「メーデー参加」に応えるためだった。中国への旅券は発行されない時代、帰国の見通しもない秘密裏の日本脱出。同行者には、いまも日中友好協会で活躍している人もいる。
 中国では、世界労連・アジア太平洋州連絡局に勤務、平和をめざす世界の労働者の連帯・団結のため心血を注いだ。「当時の中国は、沸き上がる高揚があったね」と懐かしそうに振り返る。作家の郭沫若、京劇の名優梅蘭芳などと会食したこともある。その時期、日中友好の草分けとなった高良トミ氏らが訪中した。
 いまは数少なくなったこうした波乱万丈の足跡を聞くと、日中友好にかけた先達の苦労がいかに大きかったが伺える。現在、協会東京都連多摩支部顧問。(宣)

 

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