日中友好協会(日本中国友好協会)

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私と中国〈821〉

酒巻 忠雄さん写真 日中友好協会

日本棋院
元「囲碁クラブ」編集長
酒巻 忠雄さん

 

「日中スーパー囲碁」を発案・推進

 かつて囲碁界の話題を独占した「日中スーパー囲碁」(NEC日中スーパー囲碁)。当時「囲碁クラブ」誌の編集長だった酒巻さんは、その発案と推進の中心の人物でした。
 「日中スーパー囲碁」は1984年から2001年まで続いた。この頃は、まだ国際的棋戦は少ない時代で、棋力も日本が圧倒的に強く、中国との差は歴然としていた。
 最も印象に残っているのは第1回大会。日本側は、藤沢秀行九段、加藤正夫王座、小林光一十段、石田章九段、片岡聡天元、淡路修三九段、小林覚八段、依田紀基五段。中国側は、聶衛平九段、馬暁春九段、劉小光八段、曹大元八段、銭宇平六段、邵震中七段、江銭久七段、汪見虹六段の各氏。立ち上がりでなんと中国二番手の江八段が5連勝し、日本を慌てさせた。しかし、小林十段が3人を抜き、その後もさらに3人を抜いて、残るは、聶衛平氏ただ1人となった。ところが、負けるはずのない小林・加藤氏が連敗を喫した。
 打つ予定のなかった主将の藤沢秀行師が訪中し対局した。秀行師は中国囲碁界の恩師でもあり大歓迎を受けたが敗れた。ここから「鉄のゴールキーパー・聶」の名が誕生した。
 この棋戦が踏み台となってその後の日中友好囲碁交流が発展し、中国に囲碁ブームが起きたのである。酒巻さんの記憶は鮮明で話は魅力的だった。
 42年間の日本棋院勤務で関わった「ヒカルの碁」の逸話、棋院50周年記念の「本因坊秀哉全集」の刊行など話は尽きなかった。最後にアジアの囲碁の特徴を聞くと「日本は個人、韓国はチームワーク、中国は国家」と簡潔に指摘してくれた。
 アマ八段、オフィス19代表。1942年横浜生まれ。(宣)

 

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