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HOME > 日中友好新聞 > 2017年8月15日号

日中友好新聞

日本への恨み越え未来を展望
中国元「慰安婦」描く映画
若手監督が日常を撮影
藤本 隆


shinbun

湖北省に住む被害者の毛銀梅さん(左端、今年1月に死去)を撮影する
郭柯さん(左から3人目)ら(本人提供)



中国全土で一斉公開

 80年前に始まった日本の中国への全面的侵略。中国側の研究によると、その過程で、20万人以上の女性が日本軍の性奴隷にされました。1980年生まれの中国の若手監督、郭柯(かくか)さん(36歳)は、被害者を撮影したドキュメンタリー映画「二十二」を制作。今年8月に中国全土で一般公開にこぎつけました。
 「二十二」とは、郭さんが撮影を始めた2014年時点で生存していた被害者の人数。
 郭さんのチームは14年5月から数カ月間、中国の黒龍江省、山西省、湖北省、広西チワン族自治区、海南島を訪れ、すべての被害者を撮影しました。


すべての被害者を取材

 「日本軍に建物に閉じ込められた。村の食料は日本兵に奪われ、女性が強姦される悲鳴があちこちに響いた」
 「やっと家に帰ると、私が死んだと思っていた両親は驚き、みんなで泣きながら抱き合った」
 映画では、年老いた女性たちが70年以上前の過酷な体験を涙ながらに語っています。
 映画を支援する海外のスポンサーからは、「5、6人の被害者を撮影すれば十分だ」との意見もありました。しかし、郭さんはすべての被害者に会うことにこだわりました。
「彼女たちを『慰安婦』としてひとくくりにするのではなく、一人ひとり個性ある老人として描きたい」という思いからでした。スタッフたちは郭さんを「成功する見込みがなくても、とにかく行動する、気持ちが強い人だ」と評価します。
 映画は、日本軍による被害だけを強調するのではなく、食事の風景、家族とのだんらん、農村を歩く姿など彼女たちの日常を映し出しています。
 郭さんたちは1人の撮影に1週間をかけました。最初の3日間は撮影はせずに、女性たちと家族のように過ごし、普段の姿を引き出すことに力を入れました。「亡くなった自分の祖母と同じ年代なので、すぐに心が通じた」と郭さんは言います。


shinbun

郭柯監督


生存者わずか9人

 郭さんが初めて出会った被害者は広西チワン族自治区の韋紹蘭(いしょうらん)さん(93歳)。戦時中に日本兵に強姦され、日本兵の子どもを産んだ女性です。12年に韋さんに焦点を当てた映画「三十二」を制作しました。韋さんとの交流が郭さんの意識を変えました。
 「今までは『慰安婦』と言えば、つらい過去を抱え、日本を恨み続けているという固定概念があった。韋さんは明るい性格で、私を祖母のように励ましてくれた。『慰安婦』といっても、一人ひとり名前があり、性格も違う。観客にそのことを伝えたかった」
 22人いた生存者は次々亡くなり、今年6月時点でわずか9人に。
 「最初のころは悲しかった。でも、今は避けることができないと思っている。彼女たちが1日でも長く、幸せに暮らせることを祈っている。それでも老人の家族からの電話を受けるのは怖い。ほとんどが死亡の通知だからだ」と言います。


日本の若者見てほしい

 郭さんは「日本政府の歴史に対する態度には問題がある。彼女たちの気持ちにしっかり応えてほしい」と感じています。そのうえで、「歴史を理解している日本人はたくさんいる。映画は日本への恨みをあおるのではなく、前を向いて進むことを強調している。ぜひ多くの日本人、とくに若い世代にこの映画を見てほしい」と述べ、機会があれば日本で上映し、交流したいと希望しています。


(ジャーナリスト、中国在住)





中韓の学者が「慰安婦」名簿を発表
 新華社電によると中国南京市にある「利済巷慰安所旧跡陳列館」で7月5日、日本軍「慰安婦」問題学術セミナーが開催され、中国と韓国の専門家が「慰安婦」135人の名簿を共同で発表しました。
 この資料は、浙江省金華市档案館(公文書館)所蔵の文書の中から中韓の専門家が発見したもの。
 これらの女性は戦時、中国に在住していた朝鮮人で、1944年当時、20歳から30歳。金華地区にあった日本軍慰安所で性奴隷を強いられた人びと。
 中国「慰安婦」問題研究センターの蘇智良(そちりょう)主任(上海師範大学教授)は「金華地区には慰安所が10カ所もあり、日本軍の慰安所がどれほど密集していたかが分かる」と述べました。



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