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HOME > 日中友好新聞 > 2016年12月5日号

日中友好新聞

殉難者の苦難を偲ぶ
「平和友好の碑」を建立・除幕
中国人強制連行・西松信濃川事件会


 

shinbun

「平和友好の碑」の除幕式と追悼式典(写真提供は遠山武氏)



 11月16日、新潟県十日町市の長徳寺で「中国人強制連行・強制労働西松信濃川事件」の「平和友好の碑」の除幕式と追悼式典が開催され、中国人労工遺族・関係者、弁護団、支援団体や地元住民など約90人余りが参列、心からの追悼と平和友好への誓いを新たにしました。



歴史逆行の時代
  建立の意義大きい


 第1部の「除幕式」では、記念碑日本側建立委員会委員長の高橋融弁護士(代理・森田太三弁護士)があいさつ。「裁判では敗訴しましたが、原告と遺族、弁護団、支援団体の粘り強い運動によって西松建設に謝罪させ、被害者への補償金を支払わせ、今日の記念碑建立に至りました。境内に迎え入れてくださった長徳寺ご住職と檀家の皆様に深く感謝します」と述べました。
 そのうえで「日中関係が不安定で、それを煽る動きがあるなかで、このような歴史を記憶し将来を考える運動がぜひとも必要です」と強調しました。
 日本側から、小野寺利孝氏(中国人戦争犠牲者賠償請求事件弁護団長)、大谷猛夫氏(中国人強制連行事件の解決をめざす全国連絡会事務局代表)と、任靖氏(西松信濃川平和基金管理委員会)、耿慶波(こうけい は)氏(西松信濃川労工遺族代表)が除幕を行い、大きな拍手が秋色深い静寂な林のなかに響き渡りました。



遺族代表が号泣
  新潟総領事、謝意


 西松信濃川労工遺族の林万発(りんまんぱつ)さんは、犠牲となった遺族の心情への思いと日本国民の温かい支援で実現した「平和友好の碑」建立の喜びに感極まり号泣しながらあいさつしました。
 中国の在新潟総領事館の何平(かへい)総領事は「国家が起こした戦争の犠牲者に対する日本国民の平和と友好への熱い思いに感謝します」と述べました。十日町市長のメッセージは、地元の高橋林市川西支所長が代読しました。
 第2部の「追悼式典」は、曹洞宗長徳寺住職の奥山寛千師の読経のなか、参列者全員が亡くなられた方々の冥福を心から祈りました。
 この記念碑は2010年に、企業としての歴史的責任を認めた和解にもとづく「西松信濃川平和基金」によるもので、今後、慰霊・追悼事業は継続することになっています。来年は初夏の6月を予定しています。



新潟港犠牲者の追悼碑
  建立にも努力を


 除幕式・追悼式典には、協会からは新潟・長岡支部をはじめ、本部・山形・群馬・長野・東京・京都の連合会・支部の代表が参列しました。
 終了後、十日町市内で開かれた「交流会」では、今年1月に再建された新潟支部の遠山武事務局長が「地元の支部として、今後も追悼式典に協力したい。先般、同じく新潟港に連行され犠牲となった方々の追悼記念碑建立について、責任企業のリンコーコーポレーションに面談を申し入れたが、『決着済み』と拒否された。しかし、これからも粘り強く運動を継続したい」と決意を表明。
 大田宣也本部副理事長は「1950年代の協会創立期の大きな運動のひとつは『中国人強制連行殉難者』の慰霊と遺骨送還運動だった。その流れが今日も引き継がれていることは、今日の情勢下で大きな意義がある」とあいさつしました。
 式典のために中国から労工遺族12人を含む24人が来日しました。
 日本側の参加者たちは、遺族や同行した劉連仁事件の遺族劉煥新(りゅうかんしん)さん(劉連仁さんの長男)たちと固い握手を交わし、今後の闘いのために励まし合っていました。




中国人強制連行・強制労働事件とは?

 1945年の日本の敗戦直前の1943年4月から45年5月までの間に、3万8939人の中国人を強制的に日本に連行、全国135事業所で劣悪な待遇の下で使役し6834人が死亡しました。戦時の労働力不足を補うため当時の東条内閣が閣議で「華人労務者の内地移入に関する件」を決めて実行したものです。
 新潟県十日町の西松建設信濃川発電所建設には183人が連行され、12人が犠牲となりました。






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