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日中友好新聞

2011年04月05日号1面
「東日本大震災」全国あげて支援を!
被災地、懸命の努力続く

 3月11日の「東日本大震災」から10日余りが過ぎました。日を追うにつれ、被害の広がりとそのすさまじさが伝えられ、死者9523人、行方不明者1万5000人以上(3月24日現在)となり、「阪神淡路大震災」の犠牲者を大きく上回りました。被災した協会関係者の状況も次第に分かってきています。

 

「救援募金」にすばやい反応

 

 協会の「救援募金」の呼びかけに、いち早く反響が寄せられています。
 被災した経験のある兵庫県や新潟県の協会組織をはじめ、全国すべての組織が取り組みを開始。また各地の太極拳や中国語教室では、会員の講座生を中心に「募金」を呼びかけ、多くの講座生が応じています。
 協会は、「阪神淡路大地震」(1995年)で700万円以上、「新潟中越地震」(04年)で約60万円、「中国四川大地震」(08年)で1,700万円の募金を集めました。こんどの「東日本大震災」でもこれを上回る取り組みが始まっています。

 

中国人留学生が多額の「募金」

 

 全日本中国留学人員友好聯誼会の韓永副会長から「みんなに呼びかけ、50万円の募金を外務省副大臣に渡しました」とメールが寄せられました。
 各地で協会と交流のある中国人留学生が動き始め、支援の輪は「国境」を越える大きな広がりを見せています。

 

県連事務所 被災にめげず活動
渡辺 襄 (宮城県連合会事務局長)

 

写真1 日中友好協会
渡辺 襄

 未曽有の激震(マグニチュード9.0)が東北、関東を襲い、自然災害史上、最多の犠牲者が出ています。
 3月11日午後2時46分の大地震発生当時、漫画展会場に張る拡大ポスターを受け取りに行くためバスに乗っていました。いきなり、バスが左右に大揺れし数分間続いたようです。
 これを境として、ライフラインが途切れ、毎日の生活が遅滞と苦痛に落ち込んでいます。そこに福島原発の事故が重なって不安が増しています。下記のホームページはこの問題に関する有益なものですからアクセスしてください。
 1週間がすぎ、大津波を避けて事務所に身を寄せてきた子どもたち2人と車中泊したり、近くの小学校体育館に避難したり、今は県連事務所の一室に避難しています。
 事務所は12日午後4時ころ電気、16日に電話と水道が復旧しましたが、ガスの復旧は仙台港の都市ガス工場が全焼したため復旧にはかなり時間がかかる見通しです。
 事務所の電気と電話が通じてから、県連と各支部、太極拳と中国語の皆さんと連絡できるようになり、ようやく、漫画展の後援・協賛・支援をいただいた団体と個人に「地震見舞いと漫画展中止」を電話とはがきでお知らせしたところです。
 電話が通じた皆さんから「大した被害はなかった、そちらは大丈夫か」とねぎらわれ、「漫画展は再チャレンジしてほしい、頑張ろうね」と励まされ、検査入院から退院したばっかりの老躯にあと一鞭あてる気力がわいてきました。

RIKEN NiSHiNA CENTER
 福島原発の放射能を理解する

 

「阪神淡路」の体験から思う
上田 雅美 (兵庫県連合会事務局長)

 

写真2 日中友好協会
上田 雅美

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
 巨大地震、大津波、原発事故と三重の災害に見舞われている被災地の皆様の不安と恐怖を思うと、いてもたってもいられません。どうかご無事であることを祈るばかりです。
 16年前、阪神淡路大震災を体験した私にとって連日の報道は身の詰まる思いです。あれも必要、これも必要と救援物資のことが頭に浮かびますが、それもかなわず、ただ激励メールと救援募金に取り組むことしかできないのが歯がゆくてなりません。
 被災地ではこれからがもっとたいへんだと思います。衣食住の確保をしながらの安否確認作業は本当にたいへんです。
 当時、私もガレキの中を歩き回り、焼け野原の立て札や避難所の貼り紙を見ながら会員の安否確認で探し回ったことを思い起こします。
 途方に暮れている場合ではない、負けてたまるかとの心を奮い立たせてくれたのは全国の仲間からの励ましでした。被災地の人びとと心を一つにしてでき得る限りの激励、支援を行なっていきたいと思っています。

 

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