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日中友好新聞

2011年03月25日号1面
農村の暮らしや農民の素朴さを伝えたい
金山農民画院認定画師 虎頭雄彦さん

 2月6日、協会東京都連・八王子支部主催で、金山農民画の体験講座が八王子市で開催され、「童心に帰り、夢中で描いた」「でき上がりの美しさに驚いています」等、参加者から大好評でした。
 その際、講師を務めたのは中国から一時帰国中の虎頭雄彦(34歳)さん。雑誌『AERA』の企画「中国に勝った100人の日本人」の1人に選ばれ、金山農民画院から認定された外国人初の金山農民画師です。虎頭さんに、金山農民画の魅力や農民画との出合いについて、話を聞きました。

 

金山農民画とは

 

写真1 日中友好協会

虎頭さんの作品
「上海浦東」

 金山農民画は上海市中心から約50キロの金山区朱◆(=「さんずい」+「ス」の下に「エ」)で発展した画法です。
 農民画自体は大躍進政策(1958〜60年)の時期に、現在の江蘇省徐州市◆(=丕+「おおざと」)州市で誕生しました。それが「全民詩画運動」として全国的な運動になり、金山にも根を下ろしました。初めは、農民の生活向上を伝えるプロパガンダの写実的な絵でした。
 現在の抽象的で明るい色使いの絵になったのは、「文化大革命」(1966〜76年)のとき金山にやってきた「金山農民画の父」と呼ばれる呉◆(=丹+彡)章さんによってです。絵が専門ではない民間芸術の担い手を集め、基本となる構図を教え、彼らに絵を自由に描くよう指導しました。
 こうして伝統的な要素が取り入れられ誕生した金山農民画には、切り絵や染色、刺繍といった民間芸術が凝縮されています。「ぱっと見のかわいさだけでなく、深く知れば中国の民間芸術の奥深さを感じることができます」。金山農民画自体の歴史は30年ですが、絵の中に取り入れられている伝統は、長い農村社会の歴史があります。

 

金山農民画との出合い

 

写真2 日中友好協会
インタビューで、小さめの作品を見せてくれる虎頭さん

 虎頭さんと農民画との出合いは、2004年、勤務先の会社が中国進出し、駐在員として上海にやってきたとき。上海の街中で、金山農民画に出合いました。「どうやって描いているんだろう?」、日々の仕事に追われながらもそれがずっと心に残り、独特な絵の構図や鮮やかな色使いなどの絵の秘密をいつか知りたいと思い続けました。
 07年、ついに金山農民画を訪ねて金山区へ。初め画家の張美玲さんに基礎を学び、その後、陸永忠さんを紹介され、師事。週末は金山区に絵を学びに行く生活が始まりました。
 金山農民画を学ぶまで、絵はスケッチをする程度。本格的に絵を学んだ経験はなかったけれど、個性をつぶさず伸ばしていくという農民画の教え方も手伝い、金山農民画の深さに虎頭さんは魅せられました。

 

心の色をつけていく

 

 鮮やかな色使いについて、「心の色をつけていく」とは、陸先生の言葉。「農民の暮らしは楽じゃない、だからこそ心は楽しくありたい」。陸先生との出会いが大きかったと虎頭さん。先生のアトリエに泊まり込み、絵を学び、絵について語り合いました。
 金山農民画への深い思いから、中国の農村に飛び込み、「日本人が学びに来た」と、金山の人たちに迎えられました。
 「もし農民画に興味をもたなかったら、中国の農村の人たちの心の豊かさ、伝統や文化の深さを知ることはなかった」と、虎頭さんはしみじみ語ります。
 虎頭さんは現在、毎週土曜に金山農民画の体験教室を上海で開いています。農民画を人に伝えることや大きな農民画を描くことなど、多くの夢があります。なかでも、「日本の風景を農民画で描く」というのが、虎頭さんの目標。日本の風景を日本人が農民画で描くことを、先生たちからも期待されています。
 最後に、日中観についてきいてみました。「日本と中国のルーツをたどれば、共通している部分が多い」と中国の人とよく話すそうですが、どこかで中国の人とのつながりを虎頭さんも感じているのかもしれません。
 「政治で苦しむ経験を中国の人はしてきたから、昨年は中国に住む私に逆にいろいろ配慮してくれました。報道される中国がすべてではないので、国と国との関係を個人の関係に置き換えず、おおらかにつき合っていきたいですね。金山訛(なまり)は配慮してくれませんけど」と笑います。
 (東野)

 

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